あのエネオスは元々どのブランドだったのか

ガソリンが高い。ちょっと前までレギュラー120円くらいだった気がするんだが。
ガソリンスタンドの看板をよーく見ていると、街中のスタンドがうっかりしているうちにエネオスだらけになってきていることに気づく。

これも。
これも。

このままだと全部のガソリンスタンドがエネオスになってしまうんではないか。
公式ホームページによれば、エネオスの系列給油所数は1万2千か所以上。さらに国内燃料油販売シェアは約50パーセントを占めるという。*1
なぜここまでエネオスがシェアを伸ばしたのか。簡単に説明すると、石油などを輸入・精製して販売を行う石油元売の統合がここ20年ほどで進んだからだ。
1999年に日本石油と三菱石油が合併。2002年に統合ブランドであるエネオスが誕生して以来、九州石油(2008年)、JOMOのジャパンエナジー(2010年)、ゼネラル・エッソ・モービルを手掛ける東燃ゼネラル(2017年)などを吸収しエネオスは拡大を続けてきた。最近見ないと思ったブランドが下の図に入っているなと思った人も多かろう。

ところで、エネオスの看板って何種類かあることにお気づきだろうか。

左は正方形、右は明らかに縦長で、簡単に区別がつくレベルで違う。
実はこの看板の形から元々のブランドを見分けられることがある。

調査の結果、ガソリンスタンドの見た目からエネオスが元々どのブランドだったのかがある程度把握できることが分かった。消えていった8つのブランドとともにそのメカニズムを紹介したい。*2
■ 日本石油

現在のエネオスに連なる本家本流といえば、日本石油といって過言ではないだろう。ティーンエイジャーのみんなには馴染みのない話で申し訳ないが、20年前まで存在していたガソリンスタンドのブランドだ。赤い太陽を思わせるサンライズマークは今見てもかっこいい。
ロゴの下に小さい看板があるのは日本石油時代の痕跡である可能性がかなり高い。ちなみにFCは法人向けのFCカードの略だ。
設立はなんと1888年(明治21年)。2代目総理大臣・黒田清隆はこの年の就任であるから、歴史の長さが伺える。

ブランドの統合から20年たつが、未だに当時のものを流用したと思われる看板を見つけることができる。もちろん途中で改修される場合もあるので、現在の見た目から痕跡を探せない場合も多いのだが、正方形看板+小看板はほぼ確定で元・日本石油といっていいだろう。*3

ところでこの赤い帽子を被っているキャラクターをエネオスでよく見かけるが、自分の記憶が正しければ日本石油時代から存在しているはずである。長年目にしているはずだが、名前が分からない。ネットで調べても確かな情報が出てこないので、誰か知っている人がいれば教えてほしい。
■ 三菱石油

三菱石油は名前から分かる通り、三菱系のガソリンスタンドだった。今でもたまに赤いスリーダイヤのガソリンスタンドを見かけることがあるが、そちらは三菱商事エネルギー(元・三菱商事石油)で、実は別会社だ。三菱石油は1999年に日本石油と合併し、しばらくは両ブランドが併用されており、会社名もズバリ日石三菱だった。「日石灯油でポッカポカー」と歌っていた日石灯油のCMの歌詞が急に「日石三菱ポッカポカ」となって、語感の悪さに戸惑った記憶がある。
三角形や帯状などやたら変な形の屋根(キャノピーというらしい)は三菱石油に多いが、どんな意図によるものなのかが気になる。緑とオレンジ、黄色の塗装も目立ちはするが、街中ではなかなか見ないカラーリングで、なぜこの組み合わせを選んだのか?と尋ねたくなる。

三菱石油の看板は上部に黄色い部分があるために縦長になっているので、それを流用したと思われるエネオスの看板ももちろん縦長になっている。が、エネオス成立から20年。ガソリンスタンド自体のリニューアルや看板の架け替えなどで縦長タイプの看板は減少している。給油機やランプなどから元々のブランドを特定する方法もあるが、看板から一目で元・三菱石油を見破ることは今後難しくなっていくに違いない。

こちらは屋根の端が丸まっているタイプ。このタイプも元・三菱石油に多い。老朽化で看板の架け替えが進む今、屋根の形は元・三菱石油を特定する重要な手掛かりになるのではないか。銀色の柱が丸柱なのもポイントだ。
■ JOMO

共同石油と日本鉱業(カクタス)が合併し、1993年に誕生したのがJOMOである。個人的に一番デザインが好きなブランドだったが、2010年にエネオスに転換してしまった。縦長看板は三菱石油と書いたが、JOMOもやや縦長で紛らわしいので注意したい。
ガソリンの値段を表示している部分が緑地の看板で、電光掲示板の文字色はオレンジだったが、エネオスになっても残っていることが多いので、このへんが判別のヒントになってくる。
JOMOといえばクラムボンの歌うCMソングが好きだった。
「ガソリンそんなに減ってないけど、親切だもん。今日もやっぱり寄ろうかな」という心地よいリズムとふんわりとした雰囲気の歌は、なぜか今でも記憶の隅に残っているのだが、JOMOの消滅と共にテレビで聞けなくなってしまったのが寂しい。

こちらはガソリン価格が緑地に書かれているので元・JOMOだと分かる。
ほかにも赤いライン部分の痕跡が残っていたり、柱がなんとなく太かったり、看板の上下左右になんとなく隙間が空いているなどの特徴もヒントになるかもしれない。

これは調査の途中に見つけた元・JOMO。ちょうど屋根の工事をしているところだった。緑色の部分は交換されたしまったようだが、電光掲示板の文字色がオレンジであるところから元・JOMOだということがわかる。

さて、屋根であるがよくみると2層になっていることが分かる。ライトが埋まっていたり、吊るしてあったり、屋根が薄かったり、厚かったりすることでスタンドの印象は大きく変わるが、こんな構造になっていたとは。世の中にはガソリンスタンドが専門の設計史がいたりするんだろうか。いたらぜひお会いしてみたい。
■ 九州石油

その名の通り九州地方を中心に展開していたのが九州石油である。
STORKのブランドを使うこともあったが、これはコウノトリを意味する。やや薄い屋根とツートンカラーにコウノトリのロゴはなんとなく旅情を掻き立てて、旅先で見かける度になんとなく「自分が知らない街に来ているな~」と感じていた。
コウノトリが渡り鳥だということも関連しているのかもしれない。日本で野生のコウノトリが絶滅してしまったように、九州石油も2008年にエネオスに転換して消滅してしまった。

元・九州石油を見つけるのには苦労した。九州に多かったということもあるが、薄い屋根や丸いライトなどの特徴がほかのブランドのスタンドでも見られるからだ。ただ、それらが合わさるとなんとも表現しがたい「九州石油」らしさが出てくるから不思議だ。
ところで、この記事を書くために数百枚のガソリンスタンドの写真を短時間に見比べていたせいか、不思議なことに一目で元のブランドが分かるようになってきた。どこで使うんだこんな能力。
■ 三井石油

三井石油は三井グループが設立した会社だ。長らく三井グループでおなじみの丸に井桁三の紋章を使っていたが、いつごろからかセルフのスタンドを中心に「MITSUI」ブランドを使う店舗が出てきた。しかし、2014年にエッソ/モービル/ゼネラルのブランドを展開する東燃ゼネラル石油に合併したことでブランドが消滅。さらに旧・東燃ゼネラルの店舗がエネオスに転換したことで、結果的にエネオスになった。
つまり場合によっては、三井石油→MITSUI→エッソ→エネオスなどというブランドの変遷を辿っている店舗もあるわけで、塗装のし直しなどの改装費用の心配をしてしまう。
見た目の特徴としては、柱に模様があることが多い。ほかにも看板のロゴの下に棒が一本あることもある。

この元・三井石油からは典型的な元・三井石油で、遠くから眺めるだけでも柱の模様と看板の横棒から元・三井石油であると推測できるが、よく見るとさらなる痕跡を見つけることができる。

旧・東燃ゼネラル系(エッソ/モービル/ゼネラル)のスタンドでよく見る青い塗装の残った給油機や、ガソリン価格の電光掲示板の側面がMITSUIのブランドカラーの緑であることから、度重なるブランド変更の歴史を感じられる。
■ ゼネラル

さきほどから何度か話に登場しているエッソ/モービル/ゼネラルだが、詳しく説明すると面倒なのでざっくり説明すると、元々別会社だったエッソ石油、モービル石油、ゼネラル石油が同じ東燃ゼネラルグループになったのちも3つのブランドを並行して展開していたのがこれらの店舗である。セルフの店舗は「エクスプレス」を名乗ることが多く、「ゼネラルエクスプレス」だとか「エッソエクスプレス」などになっていたが、これらはエネオスに統合後、「Enejet」と名前を変えて存続している。*4
これらのうち三井物産の燃料部を源流に持つのがゼネラルである。エクスプレスはブランドロゴ以外の部分が基本的には共通だが、それ以外の店舗はブランドごとに特徴がある。ゼネラルは屋根が台形のことが多い。また、看板の柱が丸い柱の可能性が高いような気もする。

台形屋根は明らかに目立つ。見た目でブランドの特色を出すのにはいい方法だったのかもしれない。しかし、角度によっては「ENEOS」の文字が見にくくなるという弱点もあり、一概にいいとも言い切れない。ゼネラルだったときは問題なかったのだろうが、ブランド転換の難しさを思わせる。

こちらは元・エクスプレスの店舗。
明らかにエネオスのロゴ部分が横長になっている。エクスプレスの看板は電光掲示板や「セルフ」の文字など他の部分がすべて繋がっている一体型になっていたが、ブランドによってこのロゴの部分だけサイズにばらつきがある。
これはエッソ/モービル/ゼネラルの看板の縦横比がすべて違ったためだと思われるが、それによって、このスペースには当初ゼネラルの横長ロゴが入っていたと推測できる。
■ エッソ

エッソとモービルはアメリカ発のブランドで、そのため他のブランドよりもややシンプルなロゴになっている。エッソの特徴としては立体的なロゴを使っている場合があって、文字と丸い枠が浮き出ていた。

その名残なのか、元・エッソのスタンドは上からエネオスのロゴを貼り付けているようなデザインのことが多い。もしかしたら、エッソのロゴにかぶせているのかもしれない。
こうなってくると大変なのがエネオスでロゴを管理している人である。縦長でも横長でも上から貼り付けても大丈夫なように何パターンもデザインを持っていなくてはいけない。これが例えば銀行やスーパーなら余白で調整すればいいだけな気もするが、ガソリンスタンドは既存の看板をそのまま使ったりするのでそれに合わせなければいけないはずだ、と知らない担当者の苦労を想う。
■ モービル

いちばん外観がおしゃれなのがモービル。
かなり横長の看板や屋根の裏についている円状の物体などはデザイン性の高さを感じる。

このデザインは近未来的なようでもあり、懐かしいようでもあり、いわゆる「レトロフューチャー」に当たるのではないだろうか。レンガ調のサービスルームも調和している。
ガソリンスタンドの店舗部分にはセルフ全盛期の今、なかなか入ることもなくなったが、子供の時にはオイル交換かなにかの時によくいた記憶がある。
古い色やけたポスターが貼ってあることが多くて、ガソリンの鼻につくにおいと自動販売機で売っていたミロの味は今でも覚えている。あれはモービルだったか。
旧・東燃ゼネラル系なので、給油機の青い部分が残っているのにも気づく。
では、モービルの看板はエネオスになってどうなったか。下の図をご覧いただきたい。

ゼネラルは横長の看板。エッソは外枠がある看板になったのに対して、モービルは特徴を見出せない。どうもエネオスになったときに看板ごと交換しているようだ。
無理やりロゴを変形させてきたエネオスでもさすがにモービルには太刀打ちできなかったか。
さて、そろそろエネオスが元々どのブランドだったのか、見分け方を覚えてきたことだろう。クイズを用意したので挑戦してほしい。これが正解できれば免許皆伝である。


まずは第1問。
これまでの知識を動員すれば分かるはず。
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正解は元・JOMO。
濃い緑色の部分があるのはだいたい元・JOMO。
あと、看板の上下左右に微妙に隙間が空いていて枠の色が見えるのも特徴だ。

続いて第2問。
こうしてみるとガソリンスタンドのデザインは多種多様なことに気づかされる。
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正解は元・三井石油。
柱の模様から見分けることができれば正解に辿り着けそうだ。
給油機が青いので、旧・東燃ゼネラル系だろうという点も大きなヒントになる。

最後の問題。
これは難しいかもしれない。
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答えは元・日本石油。
考え方としては、
① セルフのスタンドでエネジェットじゃないので、ゼネラルエッソモービル三井じゃなさそう。
② 看板が正方形なのでJOMO三菱じゃなさそう。
という2点から消去法で元・日本石油でないかという推測ができるはずだ。
とはいえ、オープン当初からエネオスであったり、途中で看板が変わった可能性も否めない。自分も図書館で地図を辿って確証を得た。
家の近くのエネオスが元々どのブランドなのか気になってきた方もいるだろうから、かんたんな調査方法を載せておく。来年の夏休みの自由研究などにも応用できるはずだ。
① まずはガソリンスタンドを観察して仮説を立てる。
何店舗か見比べていくと看板や給油機などから特徴が見えてくるはずだ。もちろん出入りする車や営業している店舗には迷惑にならないように注意したい。
② ゼンリンの住宅地図や古いカーナビで調べる
図書館に行けば、店舗や施設の名前まで入っている詳細な地図がある。手作業で確認しなければならないのが大変だが、古いカーナビを使えれば検索できるので楽だ。
③ インターネットで調べる
特に役立ったのがGoogleMapのストリートビューとgogo.gsのスタンドラリーのページである。スタンドラリーは全国のガソリンスタンドの店舗画像が載っているので、2008年くらいまではこのサイトで辿ることができた。
色々なガソリンスタンドの話をしてきたが、驚くべきはこれらはすべて現在エネオスになっているということだ。あれだけあったガソリンスタンドのブランドはエネオス、アポロステーション(出光興産)、コスモ石油の大手3社に集約されようとしている。
少し寂しさを覚えるが、あの時通っていたガソリンスタンドの面影がどこかに残っていることが分かって、何か勇気づけられたような気もする。
感傷的なまとめで終わろうとしているが、この記事は調査と作成にめちゃくちゃ時間かかった。エネオスのロゴだけでもパワポで2時間かかった。イラレで作ればよかった。
今後、地球温暖化対策や電気自動車の普及でガソリンスタンドは大幅に減ることが予想されるが、エネオスはどうなっているだろうか。ガソリンスタンドのシェアの十割をエネオスが占めているなんて未来も案外ありうるかもしれない。
■おまけ

せっかくなので現在のエネオスのイラストも作った。
改めてみると洗練されたかっこいいデザインのように感じる。
みなさんもぜひ近所のエネオスが元々どのブランドだったのか調べてみてほしい。そしてこっそり教えてください。
ローソンそっくり?謎のコンビニ・ポートストアを全部まわりたい

みなさんは「ポートストア」というコンビニをご存じだろうか。
何年か前に東京・辰巳へ水泳大会を観に行ったときに偶然見かけ、衝撃を受けた。
看板には「PORT STORE」と書いてあるが、どうみても見た目がローソンなのだ。
パクリにしては堂々とし過ぎているが、名前は違う。調べてみると、ポートストアは東京港湾福利厚生協会が大手コンビニと提携して運営している売店で、協会が非営利なので名前を変えているという。
品川や新木場などのベイエリアには他にも店舗があるらしいので、ぜひ全部まわりたい。ポートストアを巡った夏の思い出をお伝えする。
①日の出店

最初の店舗は浜松町駅から徒歩15分の日の出店。ポートストアは基本的に駅から遠い立地のことが多いので、今回は後輩のBくんを呼んだ。
「そういう休日も面白そうですね」
突飛な企画に来てくれるのは非常にありがたい。
上の地図の縮尺で察する方もいるだろうが、これからめちゃくちゃ大移動する羽目になることを彼はまだ知らない。

日の出店は日の出客船乗り場の横にある。
「ポートストア」の名前通り、周囲は港の雰囲気で、乗船待ちと思われる人が行き来していた。

これがポートストア日の出店だ。
見た目は完全にローソンだが、看板はすべて「PORTSTORE」になっている。
フェリーでここに着いたら異世界に迷い込んだと錯覚してしまいそうだ。
営業時間は7時から17時。2階はレストランが入っており、完全なる観光地仕様に思える。

売っているものは普通のローソンだった。
しいて言えば、家族連れが多いこともあり、おもちゃの品ぞろえがいいくらい。
ポートストア限定おにぎりみたいなのはない。残念だが。
②海岸店

「次は海岸店に向かいます」
「名前適当すぎますね」
「ポートストアはだいたい海沿いだからぜんぶ海岸店でいいよね」
と、いちゃもんをつけていると、

地名が「海岸」ということが判明。いい地名すぎる。

そんなこんなでポートストア海岸店に到着。

窓のシールに「PORTSTORE」とあるが、奥の松山ケンイチのポスターには「ローソン」と書いてある。すべてが間違い探しみたいだ。菅田将暉の言っていた「まちがいさがしの間違いの方に生まれてきたような気がする」とはこの感覚なのではないか。(絶対違う)

都内のコンビニには珍しく大きな駐車場も完備。店内にはガラスコーティング剤や車の芳香剤などのカー用品が並んでおり、オフィス街のコンビニとは違うということが見て取れる。
休憩中の運転手がメインターゲットなのだろうか、店の脇には広い休憩スペースがあって、誰かが落とした弁当のかけらをハトとスズメがつついていた。


「道にこんなのが落ちてました」
戯れに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩歩まず 石川啄木
誰が何を思って短冊に書いたのだろうか。
③品川店

品川まで歩くと、にわかに倉庫や運送会社が増えてきた。

ふと見上げるとモノレールがフォトジェニックな感じを漂わせていたりするが、とにかく歩いている人が少ない。

まわりにはコンテナが積み上げられ、街の雰囲気も工業っぽさが増していく。
東京にもこんなエリアがあるんだと気づかされる。

ポートストア品川店は淡い色のオールドスタイルのローソンに近いが、相変わらず看板の文字は「PORTSTORE」とある。床屋と宿泊施設が併設されており、いままでの店よりもよりディープな雰囲気を感じるが、私たちは見逃さない。

おなじみの松ケンの下には「LAWSON」の文字が……!
感覚が研ぎ澄まされてきたのか、先ほどの店舗ではポートストア仕様だったところに、「LAWSON」の表記を見つけるだけで、隠れミッキーを見つけたかのような嬉しさを覚える。
商品にもポートストアらしさが色濃く出てきた。なんと棚にボディシートが56列配置されていた。仮に1列5個で40枚入りとすると、この店だけで11200枚のボディーシートがあることになる。別の日に行ったドラッグストアはこの半分だった。

店の前の広い休憩スペースで休憩する。
店内には他にもカー用品や軍手なども揃っており、もちろん駐車場は完備である。やや地方っぽさを覚えるが、もしかしたら地方の国道沿いにはこれに近い店舗があるのかもしれない。完全な旅気分である。
④有明店

ここで天王洲アイル駅から国際展示場駅まで電車で移動する。目指すはお台場だ。

国際展示場駅で繁盛している通常のローソンに遭遇して、思わず懐かしさすら覚える。
人の少ないゾーンばかり歩いてきたので、人がいると安心する。

「全部やめてこの芝生で寝たいな」
「わかります」
お台場は観光地のイメージがあるが、少し歩くとそうしたイメージとはかけ離れたエリアに入る。

「この椅子はなんなんだろうか」
「物語性がありますね」
さらに南側に行くと有明店があるはずなのだが、

ここで関係車両以外進入禁止となるので断念。次の店に進む。
⑤辰巳店

さて、冒頭の写真にもあった辰巳店である。
電車で新木場駅まで移動して、電動自転車を借りる。


辰巳店は東京辰巳国際水泳場のすぐそばにあることもあって、水泳部らしき学生たちで溢れていた。棚にはプロテインバーと大豆バーは合わせて42列、カロリーメイトは16列、ポカリとアクエリアスは合わせて20列と品ぞろえはばっちり。
近くに大きな公園もあるので、木炭や野菜、大きなマシュマロなどのバーベキュー用の商品も揃っており、更には軍手や安全靴など港湾関係者向けの品も置いてあった。
「看板だけが違うのかと思っていたら、軍手とかの商品でもポートストアらしさが見えるな」
「同じポートストアでも街ごとにカラーが違って面白いですね」
数店舗まわっただけで評論家気取りなのはどうかと思うが、少なくとも関係者以外で一番ポートストアを巡っているのは自分たちではないか。ポートストア特集のコメンテーターでテレビに呼ばれる日もそう遠くはないのかもしれない。
⑥若洲店


さて、若洲である。ここまで品川やお台場など東京に住んでいる人なら多少は馴染みのある(住んでない人もテレビやウェブで見たことのあるだろう)地域を歩いてきたが、若洲はあまり聞き覚えがない。
同じ埋め立て地の品川やお台場がビジネス街や観光地としての側面を持っているのに対して、若洲は木材関連の施設や公園が多く、さきほどまでに輪をかけて道を歩いている人が少ない。

若洲店の目の前には若洲海浜公園がある。釣りやバーベキューが楽しめるほか、ヨット訓練場もある。海には船が浮かび、対岸には東京へリポートから飛び立つヘリコプターも見えた。やけに乗り物が多い。先ほどからモノレール、重機、電動自転車など乗り物の絵本に出てくるものはコンプリートする勢いだ。港湾部ならではの光景かもしれない。

実はポートストアはローソンとファミリーマートの2種類が存在し、どちらもポートストアの名前で営業している。過去にはサンクスやヤマザキショップもあったという。
ローソンのポートストアを見慣れたかと思ったら、またしても違和感が強い。
さて、店内だが公園の目の前ということもあり、釣り用品が充実していて、イソメやコマセなどの釣り餌に加え、重りや仕掛け、更にはロッドと竿、バケツまでも取り揃えていて、もはやこの店舗だけで身支度ができるように感じる。
レジャーシートや木炭、クーラーボックスなどもあり、公園利用者を狙いに狙った品ぞろえだ。休憩スペースにはソファーがあって、ゆっくり休めるのも嬉しい。
⑦大井SC店

次は若洲と反対側の大井へ移動。
ふたたび電動自転車を借りてポートストアに向かうが、さすがに疲れてきた。

途中、東京貨物ターミナル駅を横断する。大井周辺は物流倉庫が多く、右を向いても左を向いても倉庫といった様子だった。上を向くと飛行機が飛んでいる。

大井SC店に着く。
注目すべきは圧倒的なCDとDVDのラインナップだ。高速のサービスエリアでしか見ないあの棚が置いてあるとイメージしてほしい。山口百恵、松田聖子、吉幾三、美空ひばり……。往年のアイドルと演歌が中心だったが、若いとことだと倖田來未やEXILEもあった。
港湾関係者向けのコーナーも特に大きく、安全靴の在庫を数えると36足あった。
店頭の「カー用品&トラック用品販売中」というポスターからも分かるように、カー用品も怒涛の品ぞろえで、「マーカーランプ」という謎の用品までもが販売されていた。
たまに側面がピカピカしているトラックを見かけるが、あのピカピカしているランプを売っているらしい。そんなものまであるのか、ポートストア。

ところで気になるのが看板の違和感。
ローソンのポートストアよりも違和感が増している気がしないだろうか。
本来のファミリーマートは小文字中心だからか、コンビニに「О」が付くのが珍しいのか、なんとなくバランスの悪さを覚える。
⑧大井南部店

大井SC店からやや南に進むとあるのが大井南部店である。

4階建てビルの1階に入っており、ポートストアとしてはめずらしく休憩スペースがない。もちろん軍手や靴などのグッズはあるのだが棚は狭く、雰囲気もだいぶ普通のファミリーマートに近い。店内放送では合宿免許ワオの宣伝をしていて、ここまでくるとほぼ100パーセントファミマだ。
ところで、ポートストアに寄るたびに何かを買うようにしていたのだが、1日で何店舗も巡っているせいでここにきて買うものがなくなってきた。ドリンクの予備もまだ残っている。ポートストア巡りの思わぬ弊害だ。

結局、ファミリーマート限定のポテトチップスがあったので買った。
なんだかんだ欲しいものは出てくるのかもしれない。
⑨城南島店

1日の最後を締めくくるのは城南島店。
大井からさらに南、羽田空港に近いあたりにある。

今まで巡った中で一番面積が広く、ポートストア感も強い。
特筆すべきは付近に城南島海浜公園があるからかおもちゃのラインナップが強い。
水鉄砲は6種類あるし、バドミントンも花火もある。

面白いのが、看板が見えない方向に追加の看板が設置されていた。
優秀な担当者がいるのだろうか、芸が細かい。

9店舗のポートストアを紹介してきたが、どの店舗も個性的でそれでいて、ポートストアらしさを感じることができた。巡るのにかかった時間は9時間。飛行機なら羽田からインドに着いてしまう。
無事巡りきったことを労い、平和島で祝杯を挙げて、この日は解散した。
ありがとう、ポートストア。フォーエバー、ポートストア。
続きを読む懐かしのコンビニ・ホットスパーは今

かつてホットスパーというコンビニがあった。茨城を中心に全国展開しており、2000年には全国で1350店舗を展開していた*1という。
これは全国7位(ちなみにミニストップが8位で1340店舗)で、なかなかの勢力を誇っていた。しかし、ホットスパーは2008年にココストアに併合され、そのココストアもファミリーマートになってしまった。あのホットスパーは今どうなっているのか。数年に渡る調査の結果、今でも在りし日の姿を見ることができることが分かった。
■ホットスパーとは

さて、ご存じない方もいると思うので、簡単にホットスパーについて説明しよう。
そもそもスパーとはオランダに本部のある小売りのボランタリーチェーンで、日本でコンビニとして展開する際に主に名乗ったのが「ホットスパー」だった。
茨城県を地盤とするスーパー・カスミによって積極的に出店されたので、茨城に店舗が多く、筆者の地元・土浦市にあるコンビニの半分以上はセブンイレブンかホットスパーであった。店舗は赤に緑のモミの木の看板がトレードマークで、外壁は白いタイル地。拙いイメージ図ではあるが、上のような見た目を想像してほしい。
店内でパンを焼いていたり、機械式のソフトクリームが売っていたりなど魅力のある店舗が多かった。
自分も土曜日に学校がある日は、昼にパンを買いに行くことが日課になっていた。チーズとソーセージのマフィンや、サーターアンダギー、目玉焼きののったパンと当時のラインナップは未だに覚えている。
茨城周辺のローカルコンビニかというとそういうわけでもなく、地域によって店舗数に大きくばらつきがあるものの全国的に展開されていたようだが、ホットスパーの話をすると知っている人が出てくるのはかなり稀だ。合宿で免許を取ったときに出会った沖縄出身の人から何気ない会話でホットスパーの話が出た時は感動した。自分しか知らないと思っていたマイナーなアーティストのファンに出会ったような、えも言えぬ気持ちであった。
■併合の歴史

そんなホットスパーであるが、ホームセンターや不動産業など他業種に進出していたカスミが事業の見直しを図ったことで、ファミリーレストランのココスなどとともに手放すことになる。ホットスパーの運営組織の一つであるホットスパーコンビニエンスネットワークは売却され、愛知県を中心に展開していた2001年にココストアの子会社となっていた。さらに2008年にはイメージ刷新を狙ってココストアに転換された。当時の新聞*2には男性客比率が6割だったのを、女性客を取り込もうと「白やピンクを中心とする明るい色使いに変更」とある。ただこれによって何か大きく変わるわけではなく、店内のサービスは従来のホットスパーと同じであったと記憶している。
しかしながら、その8年後の2016年には買収によりココストアはファミリーマートに転換されることとなった。数が力の世界、気づけば中堅コンビニはどんどん減っていってしまった。

ちなみにファミリーマートはこの前後にam/pmやサークルK、サンクスなどとも合併している。ファミリーマートは昨年、創業40周年を記念して「懐かしの看板商品復活祭」と銘打ち、am/pmとサークルK、サンクス、ファミリーマートの商品を復刻したが、ホットスパーとココストアの商品は残念ながら含まれていなかった。ぜひ50周年ではあのサーターアンダギーを復活させてほしい。
■ホットスパーは今どうなっているか?
さて、ファミリーマート本部からも半ば忘れられた存在になっているホットスパーであるが、当時の店舗は今どうなっているのだろうか。1995年2月時点の電話帳を手に入れたので、茨城県南地区の60店舗を対象に現状を調べた。

結論から言うと、ほとんどが居抜き店舗として生き残っていた。20年以上経っているので、開発などで住所が変わっている場合もあったが、わかる限り調べた。
それでも7件は不明で、おそらく大半が再開発によって街ごと景色が変わっているようであった。20年以上前の店舗はもう残っていないと思っていたので、予想外の結果かもしれない。
居抜き店舗の内訳はコインランドリーが最多だ。次にオフィス、美容院と続き、後継のコンビニであるファミリーマートも3件あった。コンビニはバイパスの開通で移転したり、利便性を高めるために向かいにより大きな店舗を作ったりすることがあるので、同じ場所で営業を続けるこの3軒は貴重な存在であろう。
他には保育園、接骨院、学習塾などが並んでいるが、コンビニの居抜きといえばどの地方でも似たような光景がみられるのではないだろうか。

ちなみにグラフにするとこうなる。正確に調べたつもりではあるが、多少間違いがあったら容赦願いたい。とはいえ、そこまで熱烈にこのデータを欲している人は全国に自分ぐらいであろうけれど。
■ホットスパーに会いに行く

ある晴れた日、3軒残った貴重なファミリーマートの一つに行ってきた。
調査中にコロナ禍に突入してしまったので、多少古い写真もあるが気にしないでほしい。最初に調べ始めてからこの記事まで足掛け7年かかっている。夏休みの宿題は最終日までやるタイプだったが、これでは入った小学校を卒業できてしまう。
本題に戻ろう。見た目は普通のファミリーマートだ。言われなければ、元ホットスパーであることは意識できないだろう。
ただよく見ると、看板のサイズが微妙に建物と合っていないのが分かる。例えば東海地方の人は、同じくファミリーマートになったサークルKだった店舗を想像してほしいのだが、縦横比が合わないのかなんとなく寸足らずな看板に出会うことがある。その場合はもともと違うブランドだった可能性があると考えてよいだろう。

別業態に居抜きした店舗。白地のタイルが残っているので、往時の姿が思い出される。
細かいことだが、駐車場の白線も古いまま残っているようだ。
ただ、こちらも言われなければ元ホットスパーということはみじんも感じさせない。なんとなくコンビニだったんだろうなとぼんやり思うぐらいである。

こちらはより古い店舗。テナント募集中になっているが、看板の塗装が時代の変遷を物語る。調査していてわかったことだが、ホットスパー前期の外観は赤い屋根+茶色いレンガ風の壁が多く、後期は赤い看板+白いタイル地の壁が多かった。
建物の1階に入居するパターンだと関係ないこともあるが、これは前者の外観に近い。ここまでくるとコンビニであったとはまったく考えられないだろう。

骨格を残してはいるが、見る影もないパターンもある。もはやコンビニだったことすら分からない。

そんな中、気になる店舗がある。
いま流行りのからあげ専門店だが、以前の姿がこれだ。

突然、説明にないコンビニを出して申し訳ない。
と同時にこの外観に見覚えがある方も多いのではないか。
これはココストアがファミリーマートに転換されたときに、ファミリーマートについていかなかった一部店舗が名乗った「タックメイト」というコンビニだ。いわばコンビニ界の岩隈投手である*3。
店舗はあのミツウロコグループの傘下となり、ポプラの弁当が買えるようになるなど変化もあったが、焼き立てのパンを提供する店舗があることや、見た目も看板のデザインもそのままであった。ホットスパー・ココストアの系譜はなんとか途絶えるのを防げたと思いきや、タックメイトは徐々に店舗を減らしていき、残った店舗も2021年からヤマザキYショップに転換しているという。
調査は長丁場になる中、ついに決定的な瞬間を迎える。
■見つけた……!

店舗の改修中に現れたのがこの姿であった。看板こそないものの、赤い塗装に白い外壁。これこそが記憶の中のホットスパーそのものである。駐車場の白線もドアに向かって往時の姿を残している。
遠目から見ると、営業していると思う人もいるかもしれない。いや、それは言い過ぎだ。

裏に回ると通用口の横にプレートがあるのが分かる。ホットスパーは通し番号を店舗に着けていて、これはその通し番号を示すプレートだと思われる。20年くらい前の痕跡をたどるのにこれだけ苦労するのだから、世の中の考古学者はどれだけ大変なのか。
残念ながら、その後すぐに別のテナントが入ったことから、この景色はすでに現存していない。世の中は無常である。
しかし、失ったと思ったら見つけるものもあるもので、さらに調査を続けるとより決定的な光景を目にすることができた。

これは夢か幻か。ほとんど営業中の姿のまま残されていた店舗があった。
赤い屋根にレンガ風の外壁から前期の建物だということが分かる。
まさかここまで完全な姿で残っているだなんて。ホットスパーの痕跡探し史上では、吉野ケ里遺跡級の大発見じゃないか。

窓にはおなじみモミの木とSPARの文字。さらには赤い縁取りもされたいた。
さらにその外側には緑色の縁取りがあったように見えるが、風化したのかほとんどが剥がれてしまっている。

堂々ならぶSPARの文字。まるでタイムスリップしたかのような感覚に襲われる。
昭和をイメージしたテーマパークは多いものの、こんなに明らかに時間が巻き戻った感じを味わうことはないだろう。そもそも当時を再現したものではなくて本物なのだから臨場感があるのは当然だ。
手元の資料によれば、この店舗はすでに1990年には存在していたので、30年以上前の建物ということになる。同様に2000年には既に閉店しているとのことで、営業していない状態で20年が経っているはずだ。
令和の時代に見れるのは奇跡といえよう。
実はこれだけではなくもう一店舗紹介したいものがある。

一見、閉業したリカーショップに間違えそうだが、目を凝らせばうっすらとSPARの文字が見える。壁もレンガ風だ。

近づくと、やはり例のモミの木とSPARの文字。自動販売機で隠れてはいるが、赤と緑のラインもくっきりと残っている。保存状態はこちらの方が良いかもしれない。

入り口には雪印牛乳のベンチがおかれている。雪印は紆余曲折あり、雪印メグミルクになったのでこちらも感慨深い。

ドアには「お客様へのお願い」が当時のままの状態で残されている。これを見るまでは忘れていたが、たしかにこの張り紙は見覚えがある気がする。

ちらっと窓から店内が見える。
そこにはなんとSPARの文字と什器が見えた。店内にまで大きく描かれている赤いラインとモミの木マークは記憶通りだし、自分の馴染みがある世代よりは少し前の世代であろう什器もいかにもで、そこにはたしかにホットスパーがあった。
何らかの事情でそのまま残っているのであろう。いろいろな可能性が頭をよぎる。外観はまだしも内装が残っているだなんて。
営業していない店舗であるから、あまりじろじろ見るようなのは良くない。興奮を胸にそっと帰路に着くのであった。
■おわりに
この記事を書いているとき、あるニュースに気が付いた。
沖縄ファミリーマートが沖縄復帰50周年を記念して、1990年にホットスパーで販売していたハンバーガーを復刻するというのだ。*4自分は茨城にいたこともあって、ピンときてはいないが、忘れられていたと思っていたホットスパーの文字をニュースで見ることができるとは。さらにはホットスパーの商品が復刻されるなんて。
興奮そのまま自分でも何か作ってみることにした。サーターアンダギーは難しいので、あの目玉焼きがのったパンを作ってみた。
普通に失敗して黄身が割れたので、おとなしく店頭で復活する日を待ちたい。

*1:タラコでむひひ『コンビニ戦国地図』による。同ページは1990年代後半から2000年代半ばにかけてのコンビニエンスストア事情を知るのにかなり重要な史料。
リンクはインターネットアーカイブ。
http://web.archive.org/web/20090326084816/http://www.d2.dion.ne.jp/~hmurata/conveni/tenpotable.html
*2:2008/01/23 日本経済新聞 地方経済面 茨城 41ページ
*3:ピンとこない人は楽天イーグルスのwikiを読んでください
*4:琉球新報 2022年5月17日 ホットスパーで爆発的に売れたバーガーも復刻 ファミマで懐かしの味販売 復帰50年 https://ryukyushimpo.jp/photo/entry-1518293.html
さよならアシモ

今年2月、ホンダの人型ロボット・ASIMO(アシモ)が3月末をもって引退するという衝撃的なニュースが報じられた。2000年のデビュー以来長きにわたり、ロボット界のパイオニアとして愛されてきたアシモ。
ファンとしては最後の雄姿を見届けない訳にはいかない。毎日パフォーマンスをしている日本科学未来館とホンダウエルカムプラザ青山の2か所を巡り、引退前の姿をリポートする。

まずは東京・青山にあるホンダウエルカムプラザ青山へ。本社ビルの1階がショールームになっていて、カフェも併設されている。訪れた日は「ASIMO開発の歩み」と題して、特別展示が行われていた。
青山も科学未来館もふだんのプログラムではなく、引退用の公演を行っているそうで、引退がおおごとなんだなと実感させられる。

展示ではアシモ以前のEモデルやPモデルなどの進化の歴史が一目で分かるように歴代のモデルがずらり。一番左にあるE0は1986年のモデル。見た目もむき出しの脚だけで、開発が長い道のりだったことが思われます。

そして主役のアシモ。実は20年以上の歴史の中で定期的に機能がアップデートされていて、左が2000年当時のモデルで、右が2011年に発表された新型とのこと。なんと時速9キロでの走行やジャンプ、手話なども可能になっている。(と、後ろのボードにも書いてある)。
新型アシモの身長は130cmなのでだいたいドラえもんと同じ高さだとイメージしてほしい。並べてみると背負ってるバッテリーパックの大きさや顔のシャープさなどからも技術の進歩を感じる。

アシモといえば、子供たちと広場を走り回っているCMが思い出されるが、当時はきびきびと動く人型ロボットに誰もが驚いていた記憶がある。
自分もイベントなどで何度かアシモのショーを見たけれど、毎回大勢の人だかりができていた印象だ。特に東京モーターショーは、自動車の展示会のはずなのに、アシモのブースが車よりも近づけないということもあった。※写真は2013年の東京モーターショー
さて、本題に戻ろう。
青山では一日数回ショーが行われるらしく、この日は休日なので5ステージ組まれていた。人気のお笑い芸人並みのスケジュールである。用意された30席は開演前には満員になっていて、立ち見を合わせて70-80人くらいの客が集まっていた。
軽快な音楽とともにアシモが登場すると、会場はみなカメラを構えだした。これが人気芸人なら拍手喝采で迎えられてもおかしくないだろうが、写真を取るのが優先で拍手すら起こらないのは意外だった。芸人よりもパンダに近い感覚なのかもしれない。

ショーはアシスタントのお姉さんとの掛け合いで進み、アシモがホンダのロボット開発の歴史を解説したり、実演をしながらアシモ自身の機能を説明したりといった内容。
アシモは普通にプレゼンが上手だった。発音が明瞭で耳に入りやすいのと、身振り手振りが大きくてわかりやすいからだろう。
アシスタントとの掛け合いも話しているように聞こえるので、見ている方からは生きているのと何ら違わないようにみえる。そう見せるために何重もの仕掛けがなされているのではあろうが。

アシモはジャンプやダッシュ、ダンスなどを難なくこなしていく。
観客の子供からは「すげぇー」という感嘆の声が上がる。
我々は圧倒的な技術力の前には驚くことしかできないのだ。

ボールキックのパフォーマンスもあった。
アシモが蹴ったボールを観客から選ばれた代表がキャッチするというパフォーマンスなのだが、アシモの蹴ったボールはきちんと宙を舞っていった。
片足を上げてボールにぶつかるだけで体勢を崩しそうなところではあるが、それどころかボールを狙い通りの方向にもっていくまでには何度試験を繰り返したことだろうか。
つい開発の苦労について考えてしまう。

ショーも終盤。アシモの技術が自動車や、先日発表されたアバターロボットにも応用されているという話を語るアシモ。「人の役に立つためにロボット開発をしている」と理念を紹介すると、「わたしのステージは終わるけどホンダの研究は続く。これからも応援してくださいね」と健気さを見せる。
そして、最後に伝えたい言葉としてアシモが発したのが、

「ありがとう」
静かに一礼したところで、比喩ではなく涙が出そうになる。
このステージに至るまでにどれだけの技術者やスタッフがアシモを支えてきたのか。
世に出て20年以上第一線で活躍し、最後に盛大なお別れのステージが用意されたということにアシモの凄さを感じる内容だった。
これだけですでに十分感動的ではあるが、科学未来館のステージもまた違う良さがあったので紹介したい。

科学未来館のステージも100人以上の大盛況で、中には「引退しちゃうんだ……」というこの場で初めてアシモが引退することを知る声も聞こえた。
青山と違うところを挙げるとすると、科学未来館のアシモは「科学コミュニケーター」として働いているというところがある。科学コミュニケーターは展示の企画やイベントなどで科学についてわかりやすく説明する仕事で、アシモは毛利館長に任命式で正式に任命されている。
そのため、青山ではアシモの実演に加えて、ロボット開発の歴史がメインの一つだったのに対し、科学未来館では科学コミュニケーターとしての歩みを振り返る構成になっていた。アシモは青山の家で育ち、お台場で仕事をしていたのか。

なんと実演回数は1万5000回以上。科学未来館の設立が2001年で科学コミュニケーターへの任命が2002年だからほぼ初期メンバーの古株職員だ。オバマ大統領やメルケル首相とも会っている。

いままではアシモはアシモと認識していたのが、ここにきて別個体であることを意識させられる。同じ顔の双子が別々に卒業公演をしているような何とも不思議な気分になった。

科学未来館でも青山と同じく実演があったのだが、特に印象に残ったシーンがある。
左手で三角、右手で四角を作るように腕を動かすと人間はうまく動かせない。
しかし、ロボットは簡単にできるとアシモは言う。
「得意を合わせればいろんなことができるんだ」
これは強烈なメッセージとして心に刻まれた。
これからの人とロボットとの関わり方だけでなく、人間社会に対しても強いメッセージのように感じる。

ショーが終わり、記念撮影の時間になるとアシモがピタッと止まる。
まったく微動だにしないアシモを見て、なぜか感慨を覚えた。

さて、科学未来館では特別展「きみとロボット」が行われている。アシモは3月末で引退だが、会期は8月末までとのこと。
会場にはアイボやペッパーなどおなじみのロボットをはじめ、約90種130点が勢ぞろいしている。ロボットといえば、2000年代まではアシモの他にも、トランペットを吹くトヨタのパートナーロボットなどの人型ロボットが多かったのに対して、最近は特定の作業や動作を行うアームやスーツ型のロボットと、コミュニケーションに特化したロボットに二極化している傾向があるようにも思う。これがアシモの言う「得意を合わせる」ことなのだろうか。アシモは引退するけど、今後アシモの技術を受け継いだ素晴らしいロボットたちが世間で活躍を願って。

※写真は延々とディベートをするロボットたち。
スーパーマーケットのイメージソングを語りたい
スーパーマーケットに一歩足を踏み入れると、実に様々な音に溢れていることに驚かされる。
魚売り場では「おさかな天国」、精肉売り場では「ジンギスカン」総菜売り場では「コロッケのうた」が定番だろう。他にもホクトの「きのこの唄」や「ポポポポポー」の音が鳴る例の機械(呼び込みくんというらしい)など、売り場ごとに多彩なメロディで商品をアピールしている。
そんな独自の文化を形成しているスーパーマーケット音楽であるが、店舗のブランドごとに作られたイメージソングについては特筆すべきだろう。流れる曲で客の購買意欲が変化するという話も聞いたことがある。イメージソングを聴けば、店舗ごとのアピールポイントがわかるのではないだろうか。今回はそんなスーパーマーケットのイメージソングについて語りたい。
もくじ
- ライフ(本社・大阪市/台東区)
- サミット(本社・杉並区)
- CGCグループ
- AJS
- ダイイチ(本社・北海道)
- ユニバース(本社・青森県)
- グランマート(本社・秋田県)
- イオンスーパーセンター(本部・岩手県)
- カスミ(本社・茨城県)
- ベイシア(本部・群馬県)
- ベルク(本社・埼玉県)
- アピタ・ピアゴ(本店・愛知県)
- 平和堂(本社・滋賀県)
- イズミヤ(本社・大阪府)
- マルイ(本部・岡山県)
- ラ・ムー(本社・岡山県)
- フジ(本部・愛媛県)
- エレナ(本社・長崎県)
- ダイマル(本社・鹿児島県)
ライフ(本社・大阪市/台東区)
まずは西日本の雄・ライフの「ライフコンセプトソング」。店舗数は怒涛の280。東証一部上場の一大スーパーマーケットチェーンだ。調べて初めて知ったが、大阪と東京の2本社体制を敷いているらしい。確かに近畿圏と首都圏でよく見る印象だ。対象の商圏も大きいので、馴染みのある方も多いであろう。そうでない方もまずはお聴き頂きたい。
動画の説明文には「ライフが目指す姿『ライフらしさ』を表現したコンセプトソングです。」とある。おだやかな曲調で、利用客が楽しく買い物している姿が頭に浮かんでくる。
名前を聞いたことのない人もどんなスーパーマーケットなのか想像できたのではないか。歌詞には「ライフ ライフ for everyday」「ライフ ライフ for smiley day」とあるが、普段使いできるスーパーであることが分かるし、買い物で明るい生活が生まれることも想起される。
曲の完成度からもわかる通り、ライフはイメージソングや広報に力を入れているらしく、マスコットキャラクターのララピーによる「ララピー体操」もある。ララピー体操は「第2」まであって、ライフではこの3曲がヘビロテしているような気がする。
サミット(本社・杉並区)
ライフが体操なら、サミットはダンスで勝負だ。
東京都を中心に展開するサミットの「サミットファンの歌」はYoutubeでダンスバージョンが見れるのだが、かなり力がこもっている。是非観てほしい。
先ほどのライフよりもポップで、歌詞にはミックスジュースやシーフードピザなどの言葉が並び、品ぞろえの豊富さが伝わってくる。さて、この映像だが、各店舗のスタッフが出演している。鮮魚部、ベーカリー部くらいまでは分かるが、役員や経理部など全社揃い踏みで登場しているのは、気合の入りようを感じさせる。店舗開発部に至っては服装がタンクトップにヘルメットで、背景には重機!実に様々な人々が出ていて、普段利用している裏側にはこれほどのスタッフが関わっているのかと驚かされる。総出演でダンスを踊る様子はスーパーマーケット界の『恋するフォーチュンクッキー』と言っても過言ではないだろう。
ノリノリな店舗もあれば、ネギなどの小道具を駆使する店舗、ダンスに徹する店舗など、店舗内の人間関係が垣間見えるのもいい。特に、南加瀬店のパートで作詞者の林さんがメロンを持って登場したところにはぐっときた。最後は「サミット全店長」でフィナーレ。映像作品として観てもかなり凝った出来で、ほかにも小ネタが仕込まれているので是非全編観てほしい。ただ、なぜここまでするのかは謎である。
ちなみに、サミットの公式サイトでは曲がダウンロードできる。至れり尽くせりだ。
CGCグループ
続いてはCGCグループ。206社からなるスーパーマーケットの連合で、多くの会社が集まって商品の共同仕入れやプライベートブランドの開発をしている。
北海道から沖縄まで4172店舗(2021年5月1日時点)を数えることから、意図はせずとも一度は加盟店舗に行ったことがあるという人が多いのではないか。
そんなCGCグループのイメージソングがこの「CGCソング」だ。個人的にもこの曲が一番なじみ深い。サザエさんの声優の加藤みどりによる商品紹介の「エプロントーク」とセットで聴いていた思い出がある。
歌詞に注目してみると、ライフやサミットとはまた異なる印象を受ける。
「互いに役立てありがとう」は商品の共同仕入れをしているからこその目線だろうし、「安い」や「便利」のフレーズもそれによるコストメリットを体現していると考えれば合点がいく。あまり具体的なイメージを出さないのも、様々なブランドのスーパーで流れるため、汎用性の高い作りにしているからではないか。映像で、歌っている中平マリコがスタジオから店頭にワープするという演出も見どころだ。
AJS
CGCのライバルAJSにもイメージソングはある。プライベートブランドの「くらし良好」でおなじみAJSは56社3634店舗(2021年4月現在)を展開しており、イメージソングもそのまま「くらし良好のうた」である。
曲自体は2014年誕生でかなり新しい部類に入るが、キャッチーな曲とキャッチーな歌詞で耳にも残る。AJSがCGCのライバルという背景を鑑みると、イメージソングで対抗しているようにも思えてくるから不思議だ。
しかし、歌詞の内容を読み解くと独自の世界観が伺える。「スーパーマーケットに楽しさあふれてワンダーランドみたいなキラキラはじけて」と夢のような売り場の光景を歌ったと思えば、一転「きょうをあしたへつなげたい」というフレーズで
締められる。改めて考えてみると解釈が難しい。果たして誰の目線で「きょうをあしたへつなげたい」と語っているのか。大変気になるところである。
ダイイチ(本社・北海道)
地方のスーパーにも目を向けよう。
まずは北海道で展開するダイイチのテーマソングをお聴き頂きたい。
少し懐かしさも感じられる曲だが、なんと模範的なイメージソングである。買い物の情景、具体的な商品(野菜サラダ、フルーツ)、伝えたいメッセージ(新鮮、安全、清潔)のスーパーマーケットのイメージソング3要素(と勝手に呼んでいる。今決めた)が全て入っている。
この基本形を頭に入れたうえで、ほかの都府県のスーパーマーケットのイメージソングも見ていきたい。
ユニバース(本社・青森県)
一方、メッセージ性が抜群なのが、青森のユニバースである。
曲のタイトルは「とても幸せ。」
歌詞には「お昼下がりの日曜日 家族そろって お買物」「持ちきれないほど野菜を抱え 私、幸せ」とあるように、前半は子供を持つ親目線になっている。後半は一転ユニバース視点となり、「元気に育てて のびのび育て 応援するよユニバース」。子育てに奮闘する親に対するメッセージを越えて、もはや語りかけだ。
ここまで大々的に応援するよと言っているから、その応援に期待して通うようになるのかもしれない。
グランマート(本社・秋田県)
次は同じく東北のグランマート。
注意深く歌詞を読み込むと、買い物に対する熱意が段違いに高いことに気づく。
朝7時に買い物の準備をはじめたり、スーパーマーケットでデートしたり、挙句の果てには「このカゴ2つで足りるかな」である。
ちょっとしたテーマパークの楽しみ方ではないか。東北のスーパーマーケットはどこもこれほどの熱意に溢れているのだろうか……?
イオンスーパーセンター(本部・岩手県)
同じ東北でも前の2つとは対照的なのが、イオンスーパーセンター。
イオン系列のスーパーマーケットは複雑で、マックスバリュ、まいばすけっとなどのイオン色の強いブランドに加え、カスミ、マルエツ、ダイエーなど独自色の強いスーパーマーケットが入り乱れているが、ここでは「東北のイオン」ぐらいの認識でいいだろう。
曲名は「おどろきも♪やすらぎも」。スーパーマーケットの情景がまったく歌詞に組み込まれていないのは驚くべきことだ。最後の「イオンスーパーセンター」の連呼こそあるものの、「おどろき」と「やすらぎ」中心の構成となっている。
「シュビドゥビドゥバ」から始まり、「洗いたての新しいシャツ」や「コーヒーのいい香り」など買い物ではなく、家で過ごしているような情景が感じられる。ライフが買い物中、グランマートが買い物前後を描いたとして、暮らしそのものを描くというのはまるで純文学だ。
「変わらないまいにちも変わってくまいにちもどっちも大切だから」このフレーズを心に留めてわたしも生きていきたい。
これでも成立するし、伝わるものがあるのだから、スーパーマーケットのイメージソングの世界は奥深いと感じる。
カスミ(本社・茨城県)
茨城県を中心に首都圏に展開するカスミは創立50周年を記念してイメージソングの歌詞を公募していた。その歌詞が使われているのが「カスミのうた」である。
「カスミは大きなお弁当箱 みんなの笑顔がつまってる」とはなかなか上手いことを言ったもんである。公式ホームページではmp3データが提供されており、サミット同様ダウンロードも可能だ。似たような業界で家電量販店や地方自治体などもオリジナルソングを持っていることが多いような気がするが、なぜかスーパーマーケットにはダウンロード文化があるようだ。
2000年代初頭のインターネットにはCMやテーマソングをダウンロードできる時期があったが、(親切にナローバンド向けとブロードバンド向けが用意してあることもあった)その残り香を感じる。
ベイシア(本部・群馬県)
同じく北関東を代表するスーパー・ベイシアもHP上で大々的にオリジナルソングを掲載している。
記事のタイトルは「店内放送ベイシアオリジナルソングをWebでもお聴きいただけます!」で、URLは「https://www.beisia.co.jp/news/店内放送ベイシアオリジナルソングをwebでもお聴」である。聴いてもらいたい気持ちが溢れてしまっていて、聴いてあげたい気持ちになってくる。ちなみに、オリジナルソングの長さは19秒だ。宣伝に対して秒数が短くないか。心配になってくる。
ベルク(本社・埼玉県)
続いては埼玉県が本社のベルク。
正統派の安心する曲調だが、どことなくオリンピックや万博、公官庁っぽさが見受けられる。埼玉は保守的なので、曲も硬いのだろうか。公式ホームページからはもちろんダウンロード可だが、通常バージョンに加え、インストゥルメンタルとボサノババージョンもある。偉い人が会議で「この曲は硬いから柔らかくしたいね」と話し合ったんじゃないか。そこでボサノババージョンを提案した人がいるとすれば、なんとも微笑ましい。
アピタ・ピアゴ(本店・愛知県)
かつてサークルKを日本に進出させた、中部の一大企業ユニーのアピタ・ピアゴにももちろんイメージソングはある。
www.uny.co.jp正確に言えば、「アピタ・ピアゴ愛唱歌」なのだが、おそらくその中の「ハッピーラッキーアピタン」がイメージソングに当たるのではないかと思われる。アピタ事情に詳しくないので推測になってしまうが、大目に見てほしい。
内容はというと、未来からやってきたかわいい未来リス・アピタンの歌になっている。「アッピ! ハッピー! アピタ~ン」の部分なんかは「ハッピー」と「アピタ」のフレーズをなんとかして関連付けさせようとした苦労の痕跡が見える。これがイメージソングとして意図されたものなのかはさておき、アピタン全振りの企業姿勢はよく分かる。ちなみに妹はピアタンで、二人とも未来の国アピタンワールド出身らしい。メモしておこう。
平和堂(本社・滋賀県)
滋賀県を中心に157店舗を展開する平和堂は「かけっことびっこ」がイメージソング。
youtubeにアップロードされている動画の構成はサミットと同じく各店舗のスタッフが参加するスタイル。
しかしながら、昭和っぽい曲のせいか、画質のせいか全体的に学芸会っぽさが感じられる。同じスタッフが二度出てくるのはいいとして、途中で彦根城が倒れるのはわざとなのだろうか。(これが逆に味を出しているとも思える)
動画はチープだが、スーパーとしてはいいスーパーなのはきちんと断っておきたい。夏に買い物に寄ったときに、地蔵盆(近畿圏などにみられる子供のお祭りらしい)の特設コーナーがあって、関東出身の自分は驚いた思い出がある。ちなみに公式ホームページからダウンロードもできるので、こちらもチェックしてほしい。
余談になるが、平和堂には公式V-tuber・鳩乃幸(はとのさち)というのがいるらしく、キャンペーン情報や商品の紹介をこまめにアップロードしている。鳩乃幸がバズった日には、次のトレンドはスーパーマーケット系Vtuberなんてこともあるかもしれない。
イズミヤ(本社・大阪府)
創業100年を迎えた大阪の大御所・イズミヤも負けてはいられない。
イズミヤには「イズミヤソング」と題されたイメージソングが3曲もある。歴史がある故か。3曲ともテイストの差こそあれど、どことなく昔の教育テレビ感がある。最近の洒落たEテレではなく、にこにこぷんあたりの教育テレビ感だ。特に「お散歩気分で」は子供の頃に幼児番組で観た記憶がありそうな感じがする。イメージキャラクターのええもんキーのゆるさも相まって、ほがらかなノスタルジックに浸ってしまった。スーパーマーケットのイメージソングはどことなく古めのものが多い気がするが、一曲を長く使い続けたりすると、自然とそうなってしまうのかもしれない。
マルイ(本部・岡山県)
岡山県を本拠として、山陰地方にも店舗を置くマルイ。新潟県にも同名のスーパーマーケットがあるが関係はない。
曲は正統派のように思うが、ゆったりとした印象を受ける。
こうしたイメージソングの味付けは地域性が出るのだろうか。無理やり分類すると、メッセージの東北、王道の関東、バラエティの近畿……といったところか。いや、違う。それとも、価格帯か店舗の広さか、はたまた創業年数か。近いところで同じ岡山県のスーパーマーケットと比較してみたい。
ラ・ムー(本社・岡山県)
ということで、岡山県のラ・ムーである。実際に訪れたことはないが、弁当が安いで有名とのこと。
びっくりするのが、この映像が公式である。社員総会か何かの一幕だろうか。
今までのスーパーマーケットのイメージソングとは一線を画す歌である。マルイとは同じ岡山県でもまったく違う。安易に分類しようとした自分がばかだった。
とはいえ、傾向として東の方がまじめで、西の方が好き勝手やっているような気はする。ちなみに、この曲も例に漏れず、公式ホームページからダウンロードできる。スーパーマーケットのイメージソングだけを集めたアルバムを作るなら今しかない。
フジ(本部・愛媛県)
さて、そのフジであるが、なんとイズミヤを凌ぐ4曲がテーマソングとして紹介されている。真面目な曲もあれば、意味不明な曲まであり、バラエティに富んでいる。「夢見ようトゥモロー」はなぜか歌詞が英語でその後日本語で歌いなおす奇抜さがあるが、一押しは「ハッぴぃショッぴいフジッぴいのテーマ」だ。詳しく説明するのは難しいので一度聴いてほしい。店頭に流れているとたしかにテンションが上がると思うが、単体で聴くと訳が分からん。店舗の特色か。
意味のわかる単語が「サイ」と「イエイ」しか出てこない。これは天才の仕事というほかない。
エレナ(本社・長崎県)
次は長崎県のエレナ。44店舗を展開し、AJSの加盟店でもある。
実をいうとここまで紹介してきたスーパーマーケットの中で、実際に足を運んだことのあるのは半分ほどしかなく(それでも多い気はするが)、エレナにも行ったことがないのだが、曲を聴くことで実際に買い物をした気持ちにもなるというものである。
ホームページをみるに、赤い象がトレードマークらしいが、曲はどうだろうか。
タイトルは「象が飛んでいた」である。
曲を聴くのが一番だが、忙しい方のために抜粋して説明すると「空を見上げたら 夕焼けの真ん中に 象が飛んでいた」ので「急にパオパオと 嬉しく」なっている。国語の文章題に出てきそうなやけに描写的な歌詞である。たしかに「パオパオ」は何だか知らないが嬉しい感じのする擬音だ。
これは比喩の練習問題に持ってこいではないか。ぜひご覧の教育関係者の方、ご一考を。
店内はともかく、店までの道のりの情景はしっかりと浮かんできましたぜ。
ダイマル(本社・鹿児島県)
ダイマルのイメージソングはまさかのロックだ。ページ下部「Daimaru No Theme II」からご覧いただきたい。
とてつもないインパクトだ。
勢いに乗せて「お肉」とか「魚」とかをシャウトするのは一見おかしみがあるが、聴きなれてくるとイメージソング3要素も抑えてあり、だんだんハマってくる。調べてみると、レッドホットチリペッパーズをオマージュして社員の方が制作したらしい。こういった場で才能を発揮するのもスーパーマーケットのイメージソングならではであろう。
気づけば日本列島の北から南までイメージソングを紹介してきたが、まだまだイメージソング自体はたくさんある。ざっと調べただけでも、ヤマザワ、ヤマイチ、オークワ、アルゾ、万惣、ゆめタウン、サニーマート、サンシャイン……等々限りなく出てくる。先述した通り、公式ホームページなどで音源が上がっていることも多いので、ぜひこの機会に、自分のゆかりのある地域のスーパーマーケット音楽と触れ合ってほしい。
次回はスーパーマーケットで流れるオルゴールの懐メロ特集でお会いしましょう。
東京サイクリング日記
暇だったので旧東海道沿いをサイクリングしていたら、ボートレース平和島にたどり着いた。横に複合施設があるのだが、テナントが凄い。

ドン・キホーテ、パチンコ、カラオケ、ゲームセンター、映画館。
写真には入ってないが隣に温泉施設もある。まさに欲望のパラダイス。
これらが平和島にあるというのはいい皮肉である。
あまりに暇だったのでボートレースをしてみることにした。

入場料は100円で、入り口でペン2本と出走表が渡された。
ボートレースをしようと思って来てないのでまったく仕組みが分からない。
周囲のおじさんたちを観察していると、どうもマークシートに予想を書いて券売機で買うようだ。ざっくりスマホで調べると、出走する6人の着順を当てればいいということも理解した。そうこうしているうちに第8レースの投票が締め切られた。

券売機のあるゾーンの奥に進むと急に視界が開けて水面が見える。運河の一部を区切ってレース場にしているらしい。1周600メートルのコースを3周して決着をつけるようだ。白のキャップの1番が目についたので応援していると、そのまま1位でゴールしてしまった。これはもしかするかもしれない。ビギナーズラックで勝つことを祈り次のレースの舟券を買ってみることにした。

次のレースまで30分あるので場内をふらつく。もつ煮をつまみに立ち飲みできる店や100円前後の揚げ物を売る店なんかがある。一発当たればビールを飲みながら豪遊、外れたら70円のコロッケで我慢といったところか。かと思えば、すれ違った仲のよさそうなおじさん二人組の片方が急に背筋を正して「お願いなんだけど、10円恵んでくれないか」なんてことをもう片方に言う。まさにデッドオアアライブ。果たしてこのおじさんはどんな賭け方をしたら、そんなセリフに至るのか。
ふらふらしてると次のレースの締め切り時間も近づいてきた。出走表をみてもまったくよくわからないので、適当に決める。1着に2番、2着に5番の2連単とした。2位まで予想したのはマークシートに単勝(1着だけ当てる)の書き方が分からなかったからだ。場内には予想屋と呼ばれる人たちがいて100円払うと予想を教えてくれるのだが、ここは自分の勘で選んだ。さぁどうなるか。
……

ボートレース場を出ると北上した。このあたりは工業地帯なのでとにかくトラックが多い。9月になったとはいえまだまだ暑さが体に響くので、こまめに水分を取るようにする。
レースは負けた。
2番が最初のカーブで失速すると、青のキャップの4番が独走し、そのまま4-5で決着した。締め切り直前のオッズはおよそ100倍。1口100円なので勝てば1万円だったが、そんなうまくはいかない。本気で勝負するなら一回のレースで数通りの組み合わせを買うのがいいのだろう。
品川区に入る。
ボートレース場から数分もたってないのに今度は競馬場が出てきた。

大井競馬場である。ちなみにさきほどボートレース場があったのは平和島だが、大井競馬場があるのは勝島。今度こそギャンブラーの島だという感がある。どちらも埋め立て地だが、勝島は戦時中に、平和島は戦後に名付けられている。いま隣に埋め立て地を作ったらどんな名前が付くだろうか。
ちなみに平和島の隣には昭和に作られた昭和島があって、同じ大田区にある埋め立て地には最近令和島という地名がつけられた。そのまますぎやしないか。

品川区を通り過ぎると次に港区に入る。
息をしている間にどんどんとビルが増えていく。
信号待ちをしていると親子連れの母親「漱石公園行こうか」と娘を誘っていた。
港区にはそんな公園があるのか。近ければ寄ってみようと思い検索をすると、漱石公園は新宿にあるらしい。あの母親はこれから新宿まで行こうとしているのか。なかなか行動的な人である。

暑くなってきたので少し路地に入ったら、東京タワーを見つけた。
特に目的地もないので、東京タワーを目指すことにした。
近くに行けば何かあるだろう。

そのまま進んでいると変な道にたどり着いた。
東京タワーに行きたいので正面方向に進みたいのだが、JR関係者以外は進入禁止と書いてある。仕方がないので迂回する道を探すと、なんとか道はあった。

恐る恐る怪しげな道を進んでいく。

果たして自分はどこへ向かっているのか。
急にアトラクション感の強いトンネルに入ってしまった。
背の高さもない低いトンネルが、出口が見えないほど先まで続いていた。

答え合わせをすると、出た先は高輪ゲートウェイ駅のあたりだった。
駅は開業したものの、駅前はまだまだ作りかけでスーパーもマンションも何もなかった。あったとすれば、水素ステーションだけだ。

なぜこんなところに水素ステーションがあるのか。
目の前の道に車は一台も通らないし、店員も外に出ていない。
気になって調べてみたら営業は9時半から5時までで、水曜日は休みとのこと。
法人向けで特定の人しか利用しないのか、やる気がないのかどちらかだろう。

東京タワーが見えてきた。
メインデッキの入場料は1200円。ボートレースで勝てなかったので登るのはやめにした。自転車を押して急坂を歩くのも嫌だし。
さてどうしたものかと自転車を漕いでいると、雨が降ってきた。
目の前にスーパーがあったので、これ幸いと雨宿りする。
レジでペットボトルの飲み物を買うと店員の女性が話しかけてきた。
「降ってきましたか」「ええ降ってきました」
「服が濡れてるんで」「はははそうですね」
本日の会話はこれで以上である。
店を出ると雨はやんでいた。
これ以上進んでもまた雨が降ってきそうなので、帰路につくことにした。

来るときは旧東海道(国道15号)を通ってきたので、帰りは国道1号を進む。
地名は麻布や白金。ローソンもナチュラルローソンになるほどの高級住宅街エリアだ。
道にも突如謎の噴水が現れる。果たして誰が設置しているのか。
ところで、ここまでの道は基本的に車道を走るようにしていたが、
道幅が狭かったり歩道の幅が広かったりするときは歩道を通っていた。
しかし、白金で突如歩道が途切れた。目の前には地下鉄入り口、歩道橋(階段のみ)、エレベーターしかない。もはやここまでかと思っていたその時、もしやと思いエレベーターに近づくと、


エレベーターに自転車を載せることができた。
さすが白金。この町は人力で自転車を押しながら歩道橋を渡らなくていいのか。
心なしか路駐の車もいかつい。注意してみると、ベンツかアウディかポルシェばかり。
そこに歩いている女子高生の預金残高は自分よりも多いんだろうな。
17時のチャイムがなる。白金なのでチャイコフスキー、ということはなくて、普通に夕焼け小焼けだった。ただ、心なしか上品でマリンバを弾いてるような軽やかな音色だった。

五反田に近づいたころに再び雨が降ってきた。ちょうどいいところに雨宿りできそうな場所があるので休む。藤棚だろうか。
最初はパラパラと降っていた雨は本降りになって、緑の間からも雫が垂れてくる。
現在地から家までのルートを調べようとすると、雫がスマホに落ちてきて勝手にタッチされてしまう。漱石公園から家までのルートが出てくる。今知りたいのはそれじゃない。

雨が止んだのでさらに南下を続ける。
汗と雨とでマスクも服も蒸れる。早く家に帰って風呂に入りたい。
新幹線の高架をくぐり、池上本門寺のあたりに至る。

せっかくなので池上本門寺も見ておきたい。駐輪場で開門時間を調べようとすると、18時の鐘がなる。どうも開いてないよう(24時間開門という情報も見つかったが、家に帰りたい気持ちの方が強くて見ないふりをした)なので、帰ることにした。池上本門寺からはほぼ一本道で10分くらいで家に着いた。
総走行距離は約26km。
家にいるだけでは10円をねだるおじさんや自転車をのせるエレベーターに出会うことはなかっただろう。
たまにはこんな休日もいい。
桃に包丁を入れる瞬間を三千字かけて伝えるだけ
桃をもらった。
ただ起きて働いて食べて寝るだけの日々には格段のスパイスである。
嬉しさを抑えながら、「ふーん。もらえるならもらっておきますわ」的なテンションで持ち帰ったら、どこかにぶつけたのか少し傷んでいた。
ショックだが、ここは一旦受け止めよう。
そっと匂いを嗅いでみると甘く楽しい香りに思わずはっとする。
ポテンシャルが高い桃だ。例えるなら、高校時代の阪神・藤浪投手といったところか。
慎重に時間をかけて育てていけば必ず結果を残すと思われる一方、ひとつバランスを崩すとそれなりの、一般からすれば高いレベルにいるのには間違いないが、期待していたトップレベルの活躍はなくファンがやきもきする、ふつうのプロになってしまいそうな、そういった感じだ。
思えば果物としての桃のポジション自体が儚さを帯びているようにも思える。
やわらかなシルエットと品位のある薄紅色のカラーからしてそうだし、高貴なイメージもある。俗世を離れた平和な世界を示す言葉に「桃源郷」というのがあるし、桃太郎はたくさんある果物の中から選んだように桃から生まれてくる。まさに神秘のフルーツといったところか。
桃の香りから野球選手やおとぎ話まで飛躍してしまったが、話を戻そう。傷んでいる箇所があるとはいえ、まだ食べごろを待つべきと判断し、ひとまず冷蔵庫の隅に入れた。本来であれば常温で熟すのを見守るべきではあったが、暑い日も増えてきたことだし、ここは冷蔵庫でも構わないだろう。匂い移りへの対策ももちろん万全だ。脱臭剤も入れてあるし、豚キムチを作る予定もないので匂いのする食べ物は入れてなかった。とにかく、桃の居場所が決まったのでその日はそのまま寝た。
翌日は曇り空のわりに蒸し暑い日だった。面倒くさい仕事と単調な仕事の組み合わせは精神をすり減らす。慣れてしまえば楽なのかもしれないが、それはある意味で仏門を極めることに似ているのではないかと感じる。身を包む苦痛や退屈や全てを受け流し慈愛の心で包み込むことができれば、人生の道のりは平坦なものに見えるのであろう。
というような戯言を頭の中でラリーしながら帰路についてると、どうしても夕食を作る気にもなれずコンビニで弁当を買ってそのまま寝てしまった。といっても夕食を作る気になる日の方が少ないのだが。
その翌日は珍しく目覚ましの1時間前に起きた。家に帰ってシャワーも浴びずに寝てしまったせいだが、起きるのも馬鹿らしく二度寝をしてから普段起きる時間にベッドを出て、シャワーを浴びてから出社した。このとき桃のことなど頭に露ほどもない。ここからしばらく桃の描写がなくなるのは桃のことを失念しているからである。
この日はそこそこに仕事を切り上げて定時で帰った。
夕飯は焼きうどんだった。この数日前に冷凍庫の扉を開けっぱなしにしてしまって中のものが一回溶けたせいで、再度冷凍されたそれらを全て食べ切ろうとしたからである。再冷凍されたうどんは、めんつゆをかけて食べたらまずかった。麺全体がぶよぶよで噛むと砂像が崩壊したようにぼろぼろ崩れる。誇張抜きで今まで食べたうどんの中で一番まずかった。衛生面での不安もあったので捨てるのも手だったが、焼きうどんにすれば、どうにかなるのではないかという考えだ。
焼きうどんを作るのはこの日が2回目。1回目は飲み会終わりに家に泊めた友達に翌朝振舞った時で、その時はレシピも何も考えず、手元に肉とうどんがあったから(肉うどんじゃ客に失礼だな……)と考えて、焼きうどんにしたのであったが、振り返ると作ったことのない料理を一発勝負で出す方が失礼だ。
この日の焼きうどんはもう一つ、祖母の焼きうどんを再現するという目標があった。祖母は料理が上手でお祝いの日に作ってもらったから揚げやポテトサラダは絶品だったが、それ以上に普段食卓に並ぶ、ほうれん草のおひたし、いんげんの胡麻和え、きんぴらごぼう、ピカタ、ブリの塩焼き、大根の味噌汁等々が栄養バランス的にも摂取カロリー的にも理想的な食事(いわゆる「昭和の食卓」)だったことに気づいて、たまに思い出しながら作っていた。なので、焼きうどんの具はキャベツ、豚肉、カマボコとし、仕上げに鰹節とマヨネーズをかけた。これが自炊にしては驚くほどにうまく、祖母の味にも多少とはいえ近かった。
そのせいで変なノスタルジーが蘇ってくることになる。
先述した通り、祖母の料理はバランスに優れた「昭和の食卓」だった。「昭和の食卓」はデザートにフルーツをよく食べる。自分もグレープフルーツ、ビワ、イチゴ、はっさく等々を食べたことを思い出す。
急に焼きうどんの話になってしまったが、ここで本筋に戻る。焼きうどんを食べ終わったら、急に甘いものが食べたくなってきたのだ。
冷蔵庫には桃。これは舞台が整っているとしか言いようがない。
ここで桃をがまんするというのも手だが、そこまで我慢強い人間ではないので、桃を食べてしまうことにした。食べごろなど関係がない。自分が食べたいと思った時が一番の食べごろなのだ。
先ほど使ったまな板と包丁を洗い、冷蔵庫の扉を開ける。
庫内の桃はまだ少し硬いように思われたが、いちいち気になどしてられまい。
軽く水洗いして白いまな板の上に置いた。淡い桃の表面がやけに映えた。
種に沿うように包丁を入れると、思いのほかするりと刃が通る。
なんだ、思ったよりも熟しているじゃないか。
そのまま桃の両端を左右から掴み、ぐるりと手を前後に捻る。桃はそうなるのが自然かのように真っ二つに割れ、片方には種が残った。この瞬間の快感というのは何と言い表せばいいのか、まさに筆舌に尽くしがたいわけであるが、アボガドを調理するときのぐるりに比べてもさらに良いものだ。アボガドは皮がごつごつしているのと、クリーミーな実がすぱっと切れてしまうこととで、ぐるりの瞬間もなかなかに素っ気ない。
その点、桃は「ここでぐるりして本当に大丈夫なんだろうか。変な具合に実が裂けてしまわないか」と心配になるが、いざぐるりをしてみると見事に半分になる。まれに失敗して手が汁まみれになったり、種回りがずるずるになったりすることもあるが、それはそういう果物なのでしかたないと割り切るしかあるまい。
さて、半分になった実をどうするかであるが、ここから一思いにするりと皮をむけると気持ちが良いだろう。しかし、途中で皮が引っかかってしまった時のもどかしさと面倒を思うと、くし形切りにしてから一切れずつ丁寧に皮をむいていくのが無難だろう。
焦る気持ちを抑えつつ、ここはくし形切りを選ぶ。つい魔が差して一切れ口に運んでしまった時、このまますべて台所で食べ切ってしまおうかなんて思いも浮かんだ。汁気の多い桃はリビングが汚れるのを嫌って、台所で食べ切ってしまうという層が一定数居るらしいがあれは、つい一切れ食べてしまって、悪魔の誘いから逃れられなくなってしまった人たちなのではないかという気もする。なんとかそれを振り切ってもう片方の半分も種を取ってから同じように切りそろえていく。皿にならべると、ただ貰った桃を切っただけなのに大仕事をし終わったかのような達成感があった。
桃のエキスでべたべたになった手を洗って、フォークを用意し、テーブルに皿を運ぶ。
さて、賢明な読者の方々にはこれ以上の記述は必要あるまい。この桃がどれほどおいしかったかは、私の胸に秘めておく。