電車待ちに読むブログ

カレーのおいしい季節です

桃に包丁を入れる瞬間を三千字かけて伝えるだけ

桃をもらった。

ただ起きて働いて食べて寝るだけの日々には格段のスパイスである。

嬉しさを抑えながら、「ふーん。もらえるならもらっておきますわ」的なテンションで持ち帰ったら、どこかにぶつけたのか少し傷んでいた。

ショックだが、ここは一旦受け止めよう。

そっと匂いを嗅いでみると甘く楽しい香りに思わずはっとする。

ポテンシャルが高い桃だ。例えるなら、高校時代の阪神・藤浪投手といったところか。

慎重に時間をかけて育てていけば必ず結果を残すと思われる一方、ひとつバランスを崩すとそれなりの、一般からすれば高いレベルにいるのには間違いないが、期待していたトップレベルの活躍はなくファンがやきもきする、ふつうのプロになってしまいそうな、そういった感じだ。

思えば果物としての桃のポジション自体が儚さを帯びているようにも思える。

やわらかなシルエットと品位のある薄紅色のカラーからしてそうだし、高貴なイメージもある。俗世を離れた平和な世界を示す言葉に「桃源郷」というのがあるし、桃太郎はたくさんある果物の中から選んだように桃から生まれてくる。まさに神秘のフルーツといったところか。

桃の香りから野球選手やおとぎ話まで飛躍してしまったが、話を戻そう。傷んでいる箇所があるとはいえ、まだ食べごろを待つべきと判断し、ひとまず冷蔵庫の隅に入れた。本来であれば常温で熟すのを見守るべきではあったが、暑い日も増えてきたことだし、ここは冷蔵庫でも構わないだろう。匂い移りへの対策ももちろん万全だ。脱臭剤も入れてあるし、豚キムチを作る予定もないので匂いのする食べ物は入れてなかった。とにかく、桃の居場所が決まったのでその日はそのまま寝た。

 

翌日は曇り空のわりに蒸し暑い日だった。面倒くさい仕事と単調な仕事の組み合わせは精神をすり減らす。慣れてしまえば楽なのかもしれないが、それはある意味で仏門を極めることに似ているのではないかと感じる。身を包む苦痛や退屈や全てを受け流し慈愛の心で包み込むことができれば、人生の道のりは平坦なものに見えるのであろう。

というような戯言を頭の中でラリーしながら帰路についてると、どうしても夕食を作る気にもなれずコンビニで弁当を買ってそのまま寝てしまった。といっても夕食を作る気になる日の方が少ないのだが。

その翌日は珍しく目覚ましの1時間前に起きた。家に帰ってシャワーも浴びずに寝てしまったせいだが、起きるのも馬鹿らしく二度寝をしてから普段起きる時間にベッドを出て、シャワーを浴びてから出社した。このとき桃のことなど頭に露ほどもない。ここからしばらく桃の描写がなくなるのは桃のことを失念しているからである。

この日はそこそこに仕事を切り上げて定時で帰った。

夕飯は焼きうどんだった。この数日前に冷凍庫の扉を開けっぱなしにしてしまって中のものが一回溶けたせいで、再度冷凍されたそれらを全て食べ切ろうとしたからである。再冷凍されたうどんは、めんつゆをかけて食べたらまずかった。麺全体がぶよぶよで噛むと砂像が崩壊したようにぼろぼろ崩れる。誇張抜きで今まで食べたうどんの中で一番まずかった。衛生面での不安もあったので捨てるのも手だったが、焼きうどんにすれば、どうにかなるのではないかという考えだ。

焼きうどんを作るのはこの日が2回目。1回目は飲み会終わりに家に泊めた友達に翌朝振舞った時で、その時はレシピも何も考えず、手元に肉とうどんがあったから(肉うどんじゃ客に失礼だな……)と考えて、焼きうどんにしたのであったが、振り返ると作ったことのない料理を一発勝負で出す方が失礼だ。

この日の焼きうどんはもう一つ、祖母の焼きうどんを再現するという目標があった。祖母は料理が上手でお祝いの日に作ってもらったから揚げやポテトサラダは絶品だったが、それ以上に普段食卓に並ぶ、ほうれん草のおひたし、いんげん胡麻和え、きんぴらごぼう、ピカタ、ブリの塩焼き、大根の味噌汁等々が栄養バランス的にも摂取カロリー的にも理想的な食事(いわゆる「昭和の食卓」)だったことに気づいて、たまに思い出しながら作っていた。なので、焼きうどんの具はキャベツ、豚肉、カマボコとし、仕上げに鰹節とマヨネーズをかけた。これが自炊にしては驚くほどにうまく、祖母の味にも多少とはいえ近かった。

そのせいで変なノスタルジーが蘇ってくることになる。

先述した通り、祖母の料理はバランスに優れた「昭和の食卓」だった。「昭和の食卓」はデザートにフルーツをよく食べる。自分もグレープフルーツ、ビワ、イチゴ、はっさく等々を食べたことを思い出す。

急に焼きうどんの話になってしまったが、ここで本筋に戻る。焼きうどんを食べ終わったら、急に甘いものが食べたくなってきたのだ。

冷蔵庫には桃。これは舞台が整っているとしか言いようがない。

ここで桃をがまんするというのも手だが、そこまで我慢強い人間ではないので、桃を食べてしまうことにした。食べごろなど関係がない。自分が食べたいと思った時が一番の食べごろなのだ。

先ほど使ったまな板と包丁を洗い、冷蔵庫の扉を開ける。

庫内の桃はまだ少し硬いように思われたが、いちいち気になどしてられまい。

軽く水洗いして白いまな板の上に置いた。淡い桃の表面がやけに映えた。

種に沿うように包丁を入れると、思いのほかするりと刃が通る。

なんだ、思ったよりも熟しているじゃないか。

そのまま桃の両端を左右から掴み、ぐるりと手を前後に捻る。桃はそうなるのが自然かのように真っ二つに割れ、片方には種が残った。この瞬間の快感というのは何と言い表せばいいのか、まさに筆舌に尽くしがたいわけであるが、アボガドを調理するときのぐるりに比べてもさらに良いものだ。アボガドは皮がごつごつしているのと、クリーミーな実がすぱっと切れてしまうこととで、ぐるりの瞬間もなかなかに素っ気ない。

その点、桃は「ここでぐるりして本当に大丈夫なんだろうか。変な具合に実が裂けてしまわないか」と心配になるが、いざぐるりをしてみると見事に半分になる。まれに失敗して手が汁まみれになったり、種回りがずるずるになったりすることもあるが、それはそういう果物なのでしかたないと割り切るしかあるまい。

さて、半分になった実をどうするかであるが、ここから一思いにするりと皮をむけると気持ちが良いだろう。しかし、途中で皮が引っかかってしまった時のもどかしさと面倒を思うと、くし形切りにしてから一切れずつ丁寧に皮をむいていくのが無難だろう。

焦る気持ちを抑えつつ、ここはくし形切りを選ぶ。つい魔が差して一切れ口に運んでしまった時、このまますべて台所で食べ切ってしまおうかなんて思いも浮かんだ。汁気の多い桃はリビングが汚れるのを嫌って、台所で食べ切ってしまうという層が一定数居るらしいがあれは、つい一切れ食べてしまって、悪魔の誘いから逃れられなくなってしまった人たちなのではないかという気もする。なんとかそれを振り切ってもう片方の半分も種を取ってから同じように切りそろえていく。皿にならべると、ただ貰った桃を切っただけなのに大仕事をし終わったかのような達成感があった。

桃のエキスでべたべたになった手を洗って、フォークを用意し、テーブルに皿を運ぶ。

さて、賢明な読者の方々にはこれ以上の記述は必要あるまい。この桃がどれほどおいしかったかは、私の胸に秘めておく。

八月の虹

人間万事塞翁が馬とは言うけれど、何気ない習慣が予期せぬ結果に繋がることは往々にしてあると思う。

高校生の頃、テストで政治経済の成績が良かったのは、おそらく幼少期に夕方のニュースをよく見てたからじゃないだろうか。幼稚園から小学校低学年ごろのルーティンは決まっていて、帰宅後は近所の公園で日が暮れるまで遊んで、風呂に入って、夕食を食べるのが日常だった。風呂を出てから夕飯の準備を待つ間は、何故だかわからないがテレビの前にいたので、小泉総理やブッシュ大統領や天気予報士の木原さんの顔は必然と覚えた。(当時はそらジローがいなかったので、木原さんはソロだった)

ニュースの合間に流れていたCMも覚えている。メガネドラッグ石丸電気加ト吉、全部のCMソングは今でも歌える。このうちメガネドラッグは元気に営業しているが、石丸電気加ト吉は会社がなくなってしまったのでもう歌うことはないかもしれない。

ただ嬉しいことに、ネット社会の現代においてこれらのCMは動画サイトで観ることが出来たりする。あまりにも嬉しいので何年かに一度はネットでこれらのCMを漁っているのだが、どうしても見つけられないCMがあった。

もはやどこの企業のCMかも覚えておらず、分かっているのは断片的なイメージのみ。

照りつける太陽……

砂漠の中を歩き回る人々……

滅びた文明……

でもって、シリーズものだったのも確かだった。

 

10年間くらい探した結果、半年くらい前に映像を見つけることができた。


8月の虹

主演は唐沢寿明。環境問題の啓発を目的に作られたようだ。

2045年にタイムスリップした唐沢が、砂漠化して人類が宇宙に移住した後の地球で、娘に「地球を殺したのはあなた」「あなたは何もしていない。ただ関係ないって言っていただけ」と説教される(という夢を見て、考えを改める)というのがストーリーだ。

動画は7分ぐらいあるが、実際は細切れに放送されていたのを覚えている。

改めてみると、小気味よいテンポと煤けた虹や砂漠の対比が薄気味悪い。

公開は2006年だから記憶よりは何年か後のCMになるが、オゾンホールや森林破壊の映像が環境破壊の象徴として登場しているところは、何か懐かしさを感じる。

 

今や環境問題の最先端はマイクロプラスチック対策だ。CMでは消費社会の比喩として使われていたレジ袋も日本では有料化と相成った。

15年前からは多少は進歩していると考えてよいのだろうか。それとも見当違いの場所を彷徨っているだけなのか。

この15年、少なくとも、加ト吉石丸電気はなくなった。

何気ない習慣が予期せぬ結果に繋がることは往々にしてあると思う。